運営者の自己紹介

tomoの自己紹介記事アイキャッチ画像 起業ストーリー

初めまして、サイト運営者のtomoです。

僕は現在29歳(2020年現在)で、福井県の田舎で会社経営をしています。会社経営といっても従業員二人ほどの小さな会社で、年商もそこまで大きくない、いわゆる小企業です。少人数で特段厳しいルールも決めず、それぞれが自由に仕事をしているような環境です。

このサイトでは、コロナウィルスの影響もあって

  • 今から副業を始めたい
  • 手に職をつけて独立したい
  • 今やっている事業で事業主として開業したい

といった方へ向け、僕の実体験をもとに独立起業についての情報を発信していきます。

僕自身、まだまだ小さな会社を経営しているので、キラキラスタートアップで「〇〇億円資金調達!」みたいな起業家の方とは違い、今から始められる方にとっては親近感のある情報をご提供できるのではないかと思っています。

この記事では、そんな僕が独立起業した経緯について簡単な自己紹介を含めて記載します。

  1. 学校卒業後にはみんなと同じく就職
    1. 就職してすぐ、仕事が無い状態に
    2. 仕事は無いが、何か自発的に動き出すこともしない日々
    3. 次第に給料を気にして転職を考えるように
  2. 1度目の転職:製薬会社…?
    1. 彼女の妊娠、結婚
    2. 結婚から新居購入まで人生イベントを駆け抜ける
    3. 就職3年目に、先のことを考えだす
    4. 書類選考を通過し、まさかの面接
    5. インターネット広告のマーケティング部署で採用
  3. 2度目の転職:初めてのインターネット関連会社で仕事開始
    1. 毎日残業、日が変わるまで働く日々
    2. これ、自分一人でもできるんじゃない?
    3. 不意に友人からの誘いが
  4. 3度目の転職?:とにかく、ひたすら案件を取って仕事をこなす日々
    1. 毎日徹夜をして疲れて寝る日々
    2. 売り上げが上がり、利益も出るように
  5. 4度目の転職?:友人と三人で事業を法人化
    1. 遊びと仕事の境界線がないような生活
    2. 仕事は順調、生活も順調、でも金銭面での不安は付き纏う
    3. 自分一人での独立を考えだす
    4. 友人も起業を応援してくれた
  6. 5度目の転職?:独立して株式会社を設立
    1. 思ったよりも案件が獲得できず、伸び悩む初期
    2. 大きな案件も獲得でき、少しだけ余裕ができた
    3. 多くの採用を決め、決心をつける
    4. 続々と出てくる退職者
    5. 残ってくれた社員とともに、仕事に対して考え直す
    6. なんやかんやありながら、小規模で事業を継続

学校卒業後にはみんなと同じく就職

学校卒業後にはみんなと同じく就職して化学研究職

今でさえ会社経営をしている僕ですが、学校を卒業したときには周りのみんなと同じように一般企業へ就職しました。独立して自分で会社を起こすなんて考えたこともなく、「学校を卒業したら企業へ就職する」のが当たり前だと感じていたんです。

化学の専門学科を卒業していたので、教授の紹介もあり化学研究を行う会社へ就職が決まりました。当時、特に自分が化学研究をやりたかったわけではなく、「教授に紹介してもらえるし、辛い就職活動もしなくて済むならいいか。」程度で就職を決めていたのを覚えています。

今となってみれば、「そんな甘い考えの社員はいらない!」なんて思ってしまうのですが、やっぱり学生の頃には社会の事も仕事のことも、何も分かっていませんからね。本当に甘い考えで過ごしていました。

就職してすぐ、仕事が無い状態に

僕が就職したのは原子力発電所で使用されている物質の化学分析をする会社だったのですが、就職した年がちょうど東北大震災の時だったんです。東北大震災では福島の原子力発電所が崩壊したことによって、ニュースでも原子力関連が大騒ぎ。当然、僕が勤める福井県の原子力発電所も影響を受けることに。

ニュースも原因となり発電所としての機能がストップしたことによって、僕が行うはずだった分析業務は完全にストップ。全く仕事が無いわけではなかったのですが、発電所として稼働していない以上、行える業務範囲もかなり狭くなってしまいました。

会社へ出社しても、特に仕事が無いので毎日のルーチンワーク的に決まった業務をこなすだけ。空いた時間はパソコンをカタカタ触っているか、喫煙所で1時間ほどタバコを吸っているか…。ほんと、20歳にして肺を痛めるんじゃないかってくらいタバコ吸ってばかりいましたね。

そんな感じで、僕の初めての就職はいきなりトラブル。就職ということに対して何か期待していたわけではありませんでしたが、他の会社へ就職したみんなが仕事の楽しさや辛さをSNSにアップするのを見て、なんだか寂しい気持ちに…。

仕事が無いということは、この後の昇給はもちろん期待できませんし、会社自体の存続も心配してしまうような状況。今、経営者になって思いますが、仕事が無いなんて状況、社長としては気が気じゃなかったでしょう。

仕事は無いが、何か自発的に動き出すこともしない日々

仕事が無いので、僕は毎日定時で家に帰ってはテレビを見て過ごすような日々を送っていました。今考えれば本当に惜しいことをしたなーと思います。「この時期から〇〇をやっていれば…。〇〇へ行っていれば…。」なんて考えてしまうことも時々ありますが、今更考えても何も生まれませんしね。

そんな暇な毎日だったのですが、僕は特別何か始めるわけでもなく、ただただダラダラと過ごしていただけ。仕事はなんとかなるだろうと思っていましたし、今ほど副業について叫ばれているような世の中でもなかったので、副業を始めるなんて気にもしていませんでした。

今はパソコンを使った仕事をしていますが、この当時は自分のパソコンを持っていたものの、家にインターネットも引いておらず、パソコンはただの置き物状態。ホームページ制作やプログラミングなんて全く関心もありませんでしたね。

次第に給料を気にして転職を考えるように

1年ほど勤めていると周囲の環境もよく見えてくるようになり、同期の中には転職活動を始める人たちもいました。僕も何か思い切ったわけでは無いのですが、上司を見ていて「僕も10年後にはあんな感じなのかなー。」なんて思いつつ「いや、この状況で10年後まで会社があるか分からないな。」なんて思い出し、ちょっとした隙間時間を見つけては転職サイトを見るようになっていました。

そのときには仕事内容や将来性なんて何も考えず、ただただ給料の高い求人ばかり探していました。そんな時に見つけたのが、周りよりもちょっとだけ給料の高い〇〇製薬という会社。「製薬会社って給料高そうだし、何より化学の専攻を出てるから採用されやすいかも。」なんて安易な気持ちで応募してみることに。

1度目の転職:製薬会社…?

製薬会社と思いきや、害虫駆除会社へ転職

転職の面接はとんとん拍子に進み、そのままスムーズに採用されることに。

勤めていた化学研究の会社へ退職の話をした時にも、状況が状況なだけに強く引き止められることもなく退職が決まりました。でも、初めて退職の話をする時にはかなり緊張したのを覚えています。今となっては退職代行なんてサービスもありますが、その当時はそんなサービス存在しませんでしたからね。

「企業へはとりあえず3年勤めろ」なんて言われていた時代ですが、当時の僕は新卒入社した会社を1年で辞めてしまいました。とりあえず3年と言われる3年の意味もよくわかりませんでしたし、3年も勤めていると時代が変わってしまいますからね。

僕が転職した先は〇〇製薬という会社だったのですが、事業内容を見てみると害虫駆除(シロアリ、ゴキブリ駆除)を行っている会社でした。製薬会社という名前だけを見ていたんですが、実は害虫駆除や消毒業を行う会社だったんですね。

と言っても、その時に「イメージしてたのと違う!」なんて思うこともなく、なんとなく面白そうだったのでそのまま就職。仕事もすぐに覚えることが出来て、現場を回るような仕事で体を動かすことに楽しみを覚えるようになっていました。

彼女の妊娠、結婚

転職して間もない頃、付き合っていた彼女(今の奥さん)に妊娠が発覚。当時は驚きやら嬉しいやら、親への挨拶の緊張やらで感情の変化が忙しかったのを今でも覚えています。やはりびっくりしましたが、嬉しかったですね。

つまり、僕は2社目に入社数ヶ月で

  • 結婚
  • 子供誕生

を経験したわけです。入社間もない新人なのに、結婚祝いや出産祝いで多くのお祝いをもらいましたね。今、自分で会社経営をしだして分かりますが、入社間もない新人くんにそこまでお祝いを出すというのもなかなか太っ腹。

転職して間もない状態でしたが、給与はそれなりに貰っていたので結婚して家族で暮らすことに対しては、そこまで不安がありませんでした。貯金こそ難しいものの、生活はなんとかなるレベル。僕はこの時21歳。

結婚から新居購入まで人生イベントを駆け抜ける

結婚したときには一般的なアパート(2DK)に住んでおり、その間取りでも子育てにそこまで大きな不便はありませんでした。しかし、少しずつ日が経つごとに「一軒家が欲しいな…。」という思いがフツフツと…。

嫁とも一軒家購入のことは相談しており、僕は日中仕事だったので嫁がいろんな土地や家を見て回っていました。すると、「近くにいい建売住宅を見つけた!」とのことで一緒に見に行くことに。

新興住宅地で新しく住み始めた人ばかりの住宅地。隣には大きなドラッグストアーがあり、裏には大きなホームセンター、スーパーがあるような好立地。目の前が中学校で、小学校までも徒歩圏内。

「ここにしよう!」と、すぐに契約を決めて建売住宅の購入へ。今となっては大きな買い物なのによく踏み切ったなと思うのですが、当時はそこまでお金のことを重く考えておらず、買えるなら買おうってくらいのノリでしたね。
※この家も今は手放してしまっているのですが…。

ローン審査もスムーズに通過し、念願のマイホームを購入!このとき、僕は22歳。周りを見ても相当早い段階で人生の一大イベントと言われる結婚、出産、マイホームを完了していました。住宅ローンを組んで購入していたのでそこから支払いが始まる(もちろん35年)のですが、やはり賃貸ではなくマイホームというのは良いですね。

就職3年目に、先のことを考えだす

僕は転職し、結婚、出産、マイホーム購入を一気に経験したわけですが、ふとしたときに「このままでいいのかな…。」なんて不安感を抱くようになっていました。特にお金で困っているわけでもなく、家族仲良く暮らしていたのですが、将来に対してなんとなくの不安を持っていたんです。

もっと稼ぎたいという気持ちはもちろんあったんですが、それよりも

  • 新しいことをしてみたい
  • 手に職を付けたい

といった気持ちが大きく、今考えてみればこの時からなんとなく独立願望があったのかもしれません。

そんなこんなでなんとなく転職サイトを眺めたりしていると、Facebookの広告で「インターネット広告の運用会社」という広告が目に入りました。そう、ここで初めてパソコンを使ったインターネット業界に気が付いたんです。

といっても、今までインターネット関連の仕事をしたことはありませんでしたし、パソコンは持っているものの家で使ったこともない、ましてやインターネット広告なんて「何それ?」状態。

ただ、面白そうな仕事だ!とその気持ちだけ、当たって砕けろ精神で広告から応募してみました。募集職種は確か

  • 営業
  • 広告運用者
  • デザイナー

みたいな感じだったと思うのですが、当然知識のない僕は専門職へ応募できるはずもなく、営業職を志望して応募しました。営業をしていけば何かが見えると思っていたんですよね。今考えてみれば本当に甘い。

書類選考を通過し、まさかの面接

知識も何もないまま選考書類提出すると、まさかの選考通過。書類選考を通過した後は、社員さん、役員との面接が組まれていました。

後日、1社目の入社式以来のスーツ姿でドキドキの面接へ。

面接の結果は、まさかまさかの面接通過。最終面接の日取り連絡が届きました。あの喜びは今でも覚えています。今となっては採用する側の立場になっているので、「応募者の方はそれくらいの気持ちで来てくれているんだ。」と気持ちの整理が必要ですね。

しかし、最終面接で言われたのは驚きの言葉でした。

インターネット広告のマーケティング部署で採用

最終面接で面接官からいきなり「営業は一人決まっちゃったから、よかったらマーケティング部署で働いてみない?」と。

全くの未経験、パソコンの使い方も怪しい自分に対して、なぜマーケティング部署?いいの?

恐る恐るマーケティング部署へ招かれている理由を聞いてみると、「今まで話を聞いてみて、なんとなく向いてると思うよ。」との回答でした。

なんとなく。

そんな感覚的な採用でしたが、なんとマーケティング部署への転職が決定!

すぐさま働いていた害虫駆除の会社へ退職の意を申し出て、現状業務のまとめや引継ぎを完了させて1ヶ月後には転職。
※ササっと退職してしまった会社でしたが、今でも時々事務所に遊びに行ったり、飲み会に誘っていただいたりするくらいに関係は良好です。

2度目の転職:初めてのインターネット関連会社で仕事開始

転職して初めてのインターネット関連会社へ

今となってはインターネット事業で独立して会社経営している僕ですが、このときに初めてインターネット業界に足を踏み入れました。

このとき僕は25歳。家族もいてマイホームを購入し住宅ローンに追われる日々でしたが、新しいことへの挑戦にワクワクしていたのを覚えています。嫁は快く転職を応援してくれて、ほんとありがたい。

その会社のマーケティング部署というのは、インターネット広告いわゆるリスティング広告の運用代行を行う会社でした。

リスティング広告というのは簡単にいうと、GoogleやYahoo!で検索したときに上位に「広告」という枠付きで表示される検索連動型広告と、いろんなホームページに画像(バナー)で表示されるディスプレイ広告のこと。
これは入札制で表示場所を争うような仕組みになっていて、僕が配属されたリスティング広告の運用代行部署は、お客さんから預かった予算内でこの広告を運用する仕事。

リスティング広告って何?状態からスタートしている僕ですから、新しいことを勉強できるのが本当に楽しみでした。しかし現実は、出社初日に

「明日からこのアカウント運用お願いするね。」

という一言。

そう、僕が入社した会社はバリバリのスタートアップ企業だったので、教育カリキュラムなんて存在せず、各々が自分で勉強して業務を行うような風潮。案件に対しての情報も自分から取りにいかなければ教えてもらえませんし、リスティング広告の運用方法なんて自分で勉強して当たり前の環境でした。

といっても僕は新しいことを勉強したい、手に職をつけたいと思って入社していたので、ガリガリ勉強する毎日。初日には朝までかかって徹夜でリスティング広告管理画面の使い方を勉強し、就業中にはどんな施策を行えばどんな効果が出るのか効果検証…。

と、もう勉強の末、初日からそれなりに仕事ができるような状態でした。今思えば驚く労働環境ですが、当時はそんな急な環境変化が楽しかったんですよね。

毎日残業、日が変わるまで働く日々

1週間ほど経ってなんとなく仕事を覚えるようになってくると、「もっとできるようになりたい」と思うようになり、定時(18:00)を過ぎても残って勉強するように。勉強といっても書籍を読んで勉強するのではなく、実際にパソコンを使って業務を進めながら勉強。

リスティング広告というのは運用方の事業なので、一般的な仕事のように”完了”というものが存在しません。「もっと良い方法は、もっと良い施策は」と突きつけていくのが仕事なので、終わりがないんですね。

そんな終わりのない仕事でしたが、勉強して実践すればするほど自分が上達していることを感じました。広告の成果はどんどん良くなり、社内だけではなくクライアントから褒められることも増え、自分の実力が付いてきていることを実感できたんです。

するとどうなるかというと…、さらに残業するようになっちゃったんですね。

「もっといい方法はないか、こんなやり方はどうだろう、ここはこう変えたほうがいいかな」なんて検証を続けているうちに定時は軽く超え、日を跨ぐまで黙々とパソコンに向き合うようになりました。

しかし、ふと気づくと周りの先輩も結構残業している。みんな夜の10時くらいまでは仕事をしていたんですね。(今の時代、ここまで残業する会社も少ないでしょうが…)

そんな先輩たちを見て「先輩も頑張ってるから頑張ろう」…、なんて思うはずもなく、「あの人たちを追い越すためにはもっとやらないとダメだ!」と思い、先輩が帰っても一人で仕事をしたり、みんなより早く出社して仕事を始めたり、あの頃は本当に仕事ばかりになっていました。

子供もいたんですが、嫁はそんな僕に対して文句も言わず…。不安はあったと思いますが、理解してくれていたのかな。

それだけ仕事ばかりの毎日を過ごしていた僕ですが、3ヶ月目くらいにちょっとした気持ちの変化が。

これ、自分一人でもできるんじゃない?

入社3ヶ月目という時期ながら、そのときには会社で誰よりも多くの仕事を任せてもらい、それなりに結果を出せるようになっていました。先輩から引き継ぐような仕事も増え、「先輩よりも良い成果を出せるように頑張ろう。」と、仕事に対して本気で向き合っていたんです。

が、そんな時にふと「これ、自分一人でやってみてもいいんじゃないか…?」「ここまで成果を伸ばせるなら、独立してもこれでやっていけるんじゃないか…?」と。

そう、この時にはっきりと”独立”を意識しました。

なんとなく成果が出せていたというのもあるのですが、何より自分の裁量だけでしっかりと仕事をこなせているのが大きかった。分析の末に広告成果を出し、クライアントとのミーティングで施策を練り、さらに良い結果が出るような提案をする。この一連の流れが自分の中ではっきりと回っているのを感じていました。

といっても、また入社して3ヶ月。独立を意識しながらも、そんなに甘いもんじゃないだろうと。独立したい気持ちがあったのは確かですが、家族もいましたし、マイホームのローンもある。急に会社を辞めて独立へは踏み切れませんでした。

それからというもの、より一層仕事に打ち込んだのはもちろん、広告の運用だけではなく様々な分野の勉強を始めました。マーケティングを基礎から勉強し直し、SEO(検索順位を上げる方法)やホームページの作成方法まで、インターネット事業で使えそうなものを必死に勉強勉強勉強。

不意に友人からの誘いが

必死になって仕事に励んでいる頃、学生時代の友人がホームページ制作会社として個人事業を始めたとの話を聞きました。すぐに連絡を取り会って話をすることに。

実際に独立して会社を作っていたわけではないのですが、親御さんの会社を間借りして、その会社の中の一事業部として運営しているような状態。会社として成り立っている状態ではなかったのですが、なんだかスタートアップみたいで楽しそう。

ご飯を食べに行って話していると、予想される通り「一緒にやろうよ。」との誘いを受けました。僕は独立を考えていたこともあり「やろう!」と二つ返事でOK。

それからというもの、事業を初めていくにあたってどんな準備が必要か考える…こともなく!早速パソコンを注文して、働いている会社へ退職の意を伝えました。

抱えている案件数が多かったこと、人数が少ない状況だったので抜けた穴を埋めるのが容易ではないこと、など様々な理由があり退職を止められましたが、なんとか先輩たちには理解してもらい退職することに。社長にはお世話になっていましたが、退職してしまえば競合になるので社長も良くは思われないでしょう…。

社長とそこまで話をすることもなく退職してしまったのは今でもちょっと心残りですね。今となってはコンタクトを取るのも難しいような状況になってしまっているので、あの時にしっかりと話しておけばよかったなーなんて時々思い出します。転職する時には、立つ鳥跡を濁さずなんて言われますが、しっかりと相談して上司に理解してもらうこと、大事です!

そんなこんなで退職も決まり、ここから僕は企業に雇われるサラリーマンという枠からはみ出て友達と事業を始めることに。このとき、僕は25歳。

3度目の転職?:とにかく、ひたすら案件を取って仕事をこなす日々

友人と事業を始めてがむしゃらに働く

友達と始めた会社(この時は登記もしていないので会社ではなかったですが)は固定の案件があるわけでもなく、ホームページ制作案件を獲得してはこなす、獲得してはこなす、というような状態。そのため、ゆっくり仕事をしている暇なんてなかった。

今となっては当たり前にフリーランスが案件探しをするようになった、クラウドワークスやランサーズなどを常に徘徊して、気になった案件があれば応募!提案!

しかし、クラウドソーシングだけでは満足に売上を立てることもできないので、足で営業も行いました。当時は僕と友達二人の三人でスタートした事業だったのですが、なんとなく僕が営業が得意だったこともあり、いろんなところへ赴いては飛び込み営業をしていました。

飛び込み訪問営業で案件が取れるような仕事でもないのですが、諦めることなく営業営業。すると、直接依頼はもらえないのですが「そういえば、〇〇さんがホームページ作れる会社探してたよ。」とか「会社でもSNSってやった方がいいのかな?」なんて相談をもらえるように。

徐々に営業が進み出し案件の獲得まで進めることができるようになりました。

毎日徹夜をして疲れて寝る日々

この頃僕は家族もいましたが、毎日のように友達三人で徹夜で仕事をして、疲れたらデスクでそのまま寝るような日々。徹夜も1日だけじゃなく何日も続く時も…。僕たちの間でも家へ帰るような認識はほとんどなくなり「風呂入ってくる」という合図でいったん1時間ほど家へ帰る程度。

もちろん就業時間なんて決まっていないので、朝になればお客さんからの連絡もありますし打ち合わせもあります。日中は一般的な企業として活動をし、夜には溜まった作業を三人で一気に片付けるような日々。

この頃になって事業を行う大変さを理解したのですが、ここまで必死になって働いていもそこまで売上が上がっていなかったんです。徹夜してまで働いていたのに、「サラリーマンの時よりはちょっと多いか。」くらい。

そう、案件単価(リソース単価)をしっかりと固定していなかったので、案件によっては利益が出たり出なかったり、と全く安定しなかったんです。

これではダメだということで、案件に対してのリソース単価を意識して作業するように。ここで初めて経営の勉強をした気がします。それまでは何も勉強せずに勢いだけで始めてたんですよね。

売り上げが上がり、利益も出るように

案件単価の調整、リソース単価の管理、経常利益の計算を行って徐々に会社も利益を埋めるような体制になってきました。「それまで利益計算もしっかり出来てなかったのか。」って話なんですが、実際そうでしたね。勢いだけで乗り切っているような状態。

しっかりと計算をして管理すればちゃんと利益が出てくるようになり、それまで別会社の中の一事業部として動いていただけだった僕たちもついに法人化が見えてくる段階に。法人化すれば、やっと”会社”感が出てきますね。

法人化にあたっての費用も計算し、会計士と相談。春から事業をスタートしたのですが、夏には法人化できるような状態まで持っていくことができました。いざ法人化するとなると、徹夜で寝ずに仕事していた日々も報われます。

自分たちの会社を持てることに感激しつつ、手続きを踏んで法人化。

4度目の転職?:友人と三人で事業を法人化

友人と三人で法人化し事業を拡大

法人化することを転職とは言わないと思いますが、それまでは友人の父親が経営する会社の一社員として活動していたので、法人化するにあたり転職という手続きになりました。

法人化したことで、ここからは友人三人だけの会社。事業内容、毎日のやることこそ変わらないものの、自分たちだけの会社を持つというのはなんだか感慨深いものがありましたね。あのワクワクは今でも覚えています。僕個人として法人化をおすすめする事はないのですが、あのワクワク感は味わってみてもいいのかも。

法人化してからというもの、今まで以上に資金面を管理しなければいけなくなり、さらに仕事が忙しくなりました。忙しくなるというと「忙しいってのはいいことだね!」なんて言われたりするのですが、実際のところ少人数で法人化すると売上にならない仕事(社内的なこと)で忙しいことの方が多いんですよね。

売上を作るための仕事をがむしゃらにこなし、会社として成り立たせるための社内的な仕事もこなす。このとき僕は社長ではなく、僕の友人が代表をしていたのですが、友人三人で立ち上げた会社ということもあり各々が数字を管理しているような状況でした。

遊びと仕事の境界線がないような生活

なんとか案件をこなし資金を作り法人化したものの、生活はさほど変わりませんでした。仕事は毎日のように徹夜作業になりますし、業務時間中でもみんなでゲームをしたり、釣りに出かけたり…。

たるんだ生活と言ってしまえばそうなのかもしれませんが、起業したからこそ味わえる自由感もありますね。何をするにも自分の都合で大丈夫。その代わり、全ての責任も自分で取るしかありませんけどね。

しっかりと仕事をしながらも友達三人で楽しく仕事をしていました。

仕事は順調、生活も順調、でも金銭面での不安は付き纏う

友人三人の会社ですが、それなりに売り上げも上がりつつ順調に仕事をこなしていました。よく「友達と起業すると失敗するぞ!」なんて言われることがありますが、そこは特に心配なかったんじゃないかなと思います。

全員が同じような性格でしたし、何かで言い合うようなこともなく、僕はいつも楽しく過ごせていました。もちろん、自分たちで作った会社で仕事も楽しいし、日中から遊びに行くのも楽しい、仕事に追われて残業している時間も楽しかった。

ただ、この頃僕は26歳になりちょっとずつ家族での生活も気になり出している頃。将来的なビジョンも持つようになりましたし、金銭面で安心したいという思いも強くなりました。

「このままみんなで会社をやっていくのも楽しいけど、本当にこのままでいいのかな…?」と理由も無く不安になったりしていました。と言っても、三人でやっている会社なのでいきなり抜けることもできません。仕事は楽しいのに、なんとなくの不安が付き纏う毎日。

自分一人での独立を考えだす

三人だけでやっている会社だったので色々と不安はありましたが、なんとか会社として軌道に乗ってきたのが26歳の年末ごろ。案件数も増え、案件単価も上がってきたので一つ一つの仕事に追われるような環境ではなくなり、じっくりと時間をかけて仕事をこなせるようになってきました。

残業時間は相変わらず長かったのですが、残業というか、遊んでいたというか…、少し余裕も出てきたので本当に楽しい期間でしたね。

そんな頃、「僕もここから独立しよう」と決心。

友人と始めた会社だったので心残りはあったのですが、当初から思っていた生活を実現するためには独立して起業するしかないなと。僕に出来ることはデジタルマーケティング領域(ホームページ制作とか、広告とか)しかないので、起業するとすればその分野。

自分たちで会社を作ったこともあり、起業してからのなんとなくの流れは理解できていました。案件が取れない辛さも、資金管理の大切さも。

様々なことを考え抜いて、やはり僕は独立して起業することに。

友人も起業を応援してくれた

僕が起業するということは、同じジャンルで事業を行っている友人たちとは競合になってしまうということ。友達の立場としてはもちろん面白い話じゃないですよね。なので、なかなか切り出すのに躊躇していました。

自分の中で気持ちの整理もついた頃、友人に独立の話を持ちかけると「がんばれ」と。突き放したような言い方じゃなく、文章でなんと表せばいいのか分からないのですが、応援してくれているような雰囲気。

友人と三人で起業した時の嬉しさ、毎日夜中まで仕事で大変だった日々、平日の昼間からみんなで遊びに出かけたこと、いろんな思い出がありますが、独立するということは全く別の道へ進むということ。

案件の引き継ぎなどを済ませて、2017年の6月に僕は独立します。

5度目の転職?:独立して株式会社を設立

独立して自分の会社を設立

友達と独立したとき、いきなり法人化するのではなく下積みを積んでいたのですが、自分で独立するときには最初から法人(株式会社)として起業しました。

これに対して特に理由はないのですが、前回の経験から結局は法人化をした方がメリットが大きいことを感じていたので、最初から法人化して独立しました。一般的には個人事業主として起業するのが安心ですけどね。

独立して会社を立ててから、いきなり社員を雇用してスタート。と言っても知り合いを一人だけ誘って起業しました。やることは今までと同じデジタルマーケティング領域の事業。ホームページを作ったり、インターネット広告を運用したり、サイト内のコンテンツ作成を行ったり。

この時はやっと自分の会社を持てたことに感動しつつ、毎日仕事に一生懸命でワクワクしていましたね。

思ったよりも案件が獲得できず、伸び悩む初期

やっと独立したのですが、自分が想像していたよりも案件が獲得できず、初月からいきなりピンチ。自分だけならまだしも、最初から社員を雇っているので給料を払わないといけません。

なんとかギリギリで売り上げを上げることができ、初月、2ヶ月目と乗り切ることができました。今まで友達と三人でやってきたときには資金がピンチでもなんとか楽しくやってこれていたのですが、一人になると本当に孤独。「経営者は孤独だ」なんて言いますが、あれ本当です。

営業を続けながら作業もこなす。当然、徹夜することも多々あったのですがギリギリ経営できているような状況でした。

大きな案件も獲得でき、少しだけ余裕ができた

起業から半年ほどは経営状態もギリギリで、なんとか給与を支払っていけるような状態。でも半年経った頃から大きな案件も獲得できるようになり、社員の増員を考えるようになりました。

最初から一緒に初めてくれたスタッフは社員と言うよりもパートナーという雰囲気で働いてくれていたので、僕としてもどこかしら安心して仕事を任せられるような状態。ただ、ここから新しい人を雇うとなると話は別。

起業したての会社なので、やはり給与も心配だし、正直なところ働く時間もかなり長い、服務規定もしっかり決まっていないし…。ちょっとでも労基に駆け込まれたらお終いって感じの労働環境。

そんな会社に応募してくれる人がいるのかなっていう心配と、もし入社してくれて何か問題になったらどうしようっていう心配と、複雑な心境で求人募集をかけたのを覚えています。中途採用と合わせて新卒採用の募集も行いました。これが僕の初めての採用活動。

多くの採用を決め、決心をつける

求人の募集を始めてすぐ、思いのほかたくさんの問い合わせをもらうように。スタートアップ起業、フレックス勤務という田舎らしからぬ募集ということもあって、求人界隈ではそれなりに話題になっているようでした。求人の応募と同時に求人媒体からの営業もバンバン来るように…。

結果、三人の新卒採用と一人の中途採用という形で一気に社員が増える形となりました。「こんなに社員を増やして大丈夫なのかな…。」という不安とともに「よし、頑張っていこう。」という決心もつきました。

それからというもの、社員の給料を払うためにも僕は必死になって働きます。僕自身、営業にも出かけますし、実務もこなす、その上で経営をしていくような状況。日中は常にウロウロしており、夜になってから事務所や自宅でデスクワークを再開するような毎日でした。

今まで以上に忙しい日々で、楽しむ余裕もないような状態。でも、社員を雇っていく決心をしたからにはやり遂げなければいけないという責任感だけで仕事に奔放していました。

続々と出てくる退職者

それだけ頑張って働いていた僕ですが、やはり社員は全てを理解してくれるわけではありません。社長と社員という立場の違いももちろんありますが、それ以前に同じ人としてスタイルの違いに大きな疑問を持たれていたようです。

必死になって仕事をする僕は、どこかしらで社員にも同じような熱意を求めていたのかもしれません。社員も付いてこようとしてくれていたのですが、たぶん「頑張った先が、あんな生活か。」と思われたのでしょう。周囲より多少お金は持っていたとしても、毎日疲れ果てるまで仕事に明け暮れる毎日。みんながみんな目標にできる人間ではなかったはず。

そんな中、起業仕立てということ、一気に大量採用したこともあり、なかなか社員を昇給させることは出来ませんでした。仕事量は徐々に増えていくのに給料は上がらない。そう言った矛盾を感じていたのも事実でしょう。

スタートアップで働いた経験のある方ならわかるかもしれませんが、どうしてもスタートアップ起業は服務規程、給与規定が決まっておらず、定期的な昇給というのは難しい。でも、社員からすればそんなことは関係なかったのかもしれませんね。

そんなこんなで、それからの2年間で入社してくれた社員はみな辞めてしまいました。

残ってくれた社員とともに、仕事に対して考え直す

結局、残ってくれたのは最初から一緒にスタートした社員一人だけ。これだけ採用と退職を経験した会社にいながら、そのスタッフはいまだに一生懸命働いてくれています。常に一緒にやってきているパートナー。本当に感謝しかありません。

そんなことを考えていたとき、ふと「働くってなんだろう」なんて考えている自分がいました。

「仕事に対しての価値や思いは人それぞれなのに、どこかで社員に対して自分の価値観を押し付けていたのかもしれない。」と思うように…。

今一緒に頑張ってくれている社員は、今の働き方が自分に合っていると言ってくれているので僕も安心しているのですが、それも他のみんなに共通することではありません。でも、僕が起業した以上、この会社は僕の会社。

そんな葛藤の中、仕事に対する考え方が分からなくなってしまいました。今後、僕は人を雇用することはできないかもしれないし、そうなると事業の拡大は難しくなります。そもそも、事業を拡大したいと思っていたのかすら、もう自分でも分からない。

不覚にも、社員の退職が僕にとって”仕事”、”会社”というものを考え直すきっかけになりました。

なんやかんやありながら、小規模で事業を継続

一気に人がいなくなった結果、事業の拡大は出来るだけしない方向で、今いる社員と僕の二人でできる仕事を頑張っています。そこまで大きく儲けることもないのですが、それなりに生活できているし、仕事の時間も今まで以上に自由。

仕事を大切にしながらも、お互いにプライベートの時間(家族との時間)を大切にできていると思います。

事業の拡大を経験した後にこうやって事業の縮小も経験してみると、僕にとっては小さな事業規模でゆったりと進めるのが合っているのかなと感じます。よく、他の人からは「事業をやるなら、どんどん大きくしないと意味がないだろう!」なんて言われることもあるのですが、それはそれ、これはこれ。

起業・スタートアップと一言で言われる世の中ですが、いろんな形があっていいと思います。自分に合った形を見つけられ、幸せに生きられるのが成功なんじゃないですかね。

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